読書

〈課題の分離〉は私の人生の課題である。【嫌われる勇気】からの気づき。

『嫌われる勇気』で多くの人に知られることとなった、アドラー心理学の【課題の分離】はまさに私の課題だった。

【課題の分離】を知れたことが、この本に出会えた最も大きな意味である。

課題の分離とは

われわれは「これは誰の課題なのか?」という視点から、自分の課題と他者の課題とを分離していく必要があるのです。
~中略~
他者の課題には踏み込まない。それだけなのです。

『嫌われる勇気』より

上記で【課題の分離】の簡単な意味は伝わるかと思う。
本書の中では親子を例に説明をしている。

要約すると、
親が子どもに期待したり、子どもが勉強しないことにより起こる親自身の不都合を想像して「勉強しなさい」と口出しするのは、「子どものため」ではなく「親であるわたしのため」だということ。
勉強せず迎える未来は子どものものであり、その責任を負うのも子ども、親の課題ではないのである。

「馬を水辺に連れていくことはできるが、水を呑ませることはできない」

という他国のことわざを用いて、

  • 変わることの強要はできないこと
  • 自分を変えるのは自分であること

を説いている。

私自身はこれを読み、親(妻)はあくまでも見守り、子ども(夫)の心からの悩みや気持ちに寄り添う存在なのだと解釈した。
身近な存在の中でこれを実践するには「愛」が必須だと感じる。
おそらく「愛」がないと不可能である。

課題の分離と私

さて、ここでは「愛」の話は置いておき、
【課題の分離】を自分自身に落とし込んだとき、私は今まで目を背けていたことがあると気づき、そのことを綴っておきたい。

我が家は共働きで夫は自営業。
私は自らを夫のフォロー役と位置づけ、夫の事業こそ家計の柱と思い込み仕事も家事もしてきた。

つまり夫の事業という〈他者の課題〉に、妻だから、家族だからという理由で深入りしてきた。

もちろん夫の事業を全くフォローしない方がいいとは思えない。
お互いのできないところをカバーすることは今後も継続するつもりである。

ただ私は夫の事業が成功して夫が人並以上に稼げることを過度に期待していた。
心の奥では男が稼げる方がいいと、根拠なく思っていた。

本業+子育て+夫の事業のサポート。
この3本を柱に生活している私だが、夫の事業のサポートに対する考え方を間違えていた気がする。

夫の事業は夫の課題なのだ。
成功しなければ私が困るという理由で収入が少ないことを怒鳴り散らかしては、夫の課題に土足で踏み込んでいることになる。
そんな私に夫が答えてくれるはずもない。

夫の課題を他者の課題として切り離したとき湧き出る疑問…なぜ私は、私自身が今より稼ぐ選択肢を持っていなかったのか。
自分の思考を深堀し、言い訳せずに考えれば理由は明確。
それは、「楽だから」だ。

課題の分離ができないことで生まれた苛立ち

私が楽な道を進むために夫の課題に踏み込んでいると思うと、いろいろな誤りに気付き始める。
例えば・・・

①自分の課題から目を背けている
⇒自分で稼ぐような努力もせず、さらに家計管理の工夫もしていないのに、家計のやりくりがうまくいかないことを夫のせいにしている。

②他者の人生の価値観を理解しようとしない
⇒夫に稼ぐことを過度に求めているゆえ、「必要以上に稼ぐことよりも少ないお金で今を楽しみたい」という夫の気持ちを心の中で否定している。

いずれも【私の課題】と【夫の課題】の分離が全くできていなかったことによる私の心の歪み、日々の苛立ちだちもこの歪みが原因だと思える。

私のこれまでの苛立ちは、〈課題の分離ができないと、他者への期待や依存が増幅するばかりで事態は好転しない〉という良い例だと思う。

これから

夫婦で協力することの意味をはき違えないようにしなければならない。
〈夫の課題〉に土足で踏み込むばかりで、〈私の課題〉から目を背けていては、本当の意味で協力することはできないのだから。

おそらくトライ&エラーを繰り返すことになり、うまくいかない可能性は高い。
それでも私は私の課題と向き合うために、自分がやりたいこと、やるべきことから目を背けずに生きていく必要がある。